地域の声

高校生に芽生えた
「自分たちが町を作る」意識

宮城県立 志津川高校 校長
山内 松吾さん

自然科学部
佐藤 利輝

宮城県志津川高等学校は南三陸町唯一の高校です。南三陸BIOを初めとするバイオマス産業都市構想は生徒たちにどのような影響を与えているのか、校長の山内松吾さん(取材当時)にお話をうかがいました。
※(本記事は2017年12月8日に発行した電子書籍「バケツ一杯からの革命」からの抜粋記事です。写真は志津川高校自然科学部メンバーの顔ぶれ。彼らが地域の若者たちの意識変革の発信源となっている。)

卒業後も町に残りたいと答える生徒が増えている

山内さん:「毎年、卒業する生徒全員に面接をするんですが、このところ、卒業後も町に残りたいと答える生徒が増えているんですよ。働き口が少ないからいったんは町を出るけど、チャンスがあれば戻ってきたいと答える子も増えていますね。」

かつての市街地跡を見下ろす高台にある宮城県志津川高等学校で、校長の山内松吾氏が意外な状況を語った。同高校は震災直後から被災した人々の一大避難所にもなっていた。町の人口の半数が家を失い、多くの人々が亡くなった未曾有の大災害と、長きにわたる避難所の仮設住宅での暮らしぶりを、多感な高校生たちが目の当たりにした現場でもある。

9割が町内出身という同校の生徒数は、家を失って他の地域へ避難せざるを得なかった世帯の生徒も多く、震災前の400人余から230人にまで減少した(2017年時点)。

しかし、震災前は卒業生のほとんどが町外に出ていくのが当たり前だったのに対し、現在は卒業後も地域に定住する意志を示す生徒の割合が増えてきているという。

その裏付け資料として、各年別の卒業生に実施した定住意志のアンケート調査結果を見せてもらった。調査結果の数値を見ると、資源循環事業が本格展開する前後の年の卒業生の定住意志は、両年度共に「いったん地元を離れるが将来的には南三陸町に戻りたい」というUターン希望者を含めて概ね7割程度であり、微増傾向にある。だが、実際に「卒業後も南三陸町に住み続ける」という明確な定住意思を示した生徒の割合が、資源循環事業の本格化前後で劇的な増加傾向を示していたのだ。

平成27年度(2015年)の卒業生のうち、「卒業後も南三陸町に住み、そのまま住み続ける予定でいる」と答えた生徒は19.8%。しかし、その翌年の平成28年度(2016年)の卒業生では27.9%である。増加率で言えばじつに4割を超える大幅な急上昇だ。これは「衝撃的な数字」といえるだろう。

志津川高校卒業生の定住意志アンケート調査結果 H27年度、28年度

山内さん:「こうした生徒たちが卒業後、地元に定住していくためには、若者が働ける町づくりが必要です。その際の課題はまず町の人口減少ですね。とにかく、圧倒的に人が足りないんですよ。」

人が少なければモノとサービスが売れないは当然だ。定住を希望する卒業生を受け入れるためには、「新たな雇用と価値の創出」を担う産業が様々な形で振興される必要がある。しかし、もっと重要なのは、「卒業する生徒と地域社会の結びつき」だと山内校長は語る。

山内さん: 「定住の意志を動機づけるうえで、生徒と地域が『人としてつながりあえること』が大切なんです。そのためは何が必要か。私は、いま町が推進している『自然と共生する町づくり』という方針は、かなりいい線を行っているんじゃないかと思いますね。」

未来を担う生徒たちに、南三陸BIOの取り組みを紹介する責任はあると思った

こう考える背景として、町が推進する資源循環事業が、地元の高校生の定住意志や進路選択に大きな影響を与えているというのである。

2015年の秋に生ごみの分別回収が始まり、翌年の春には液肥の本格利用がスタートした。確かに、資源循環事業の本格的な展開が始まった時期と、卒業生の定住意志に劇的な変化が生じた時期が一致する。いや、でもまさかそこまでの影響が? これはいったい、どういうことなのだろうか。

山内さん:「きっかけは、私が一人でBIOの施設見学にいったことなんです。その際、まだ分別回収率が半分にも満たない状況とうかがいました。今まで焼却して埋めていたものを資源循環していく素晴らしい取り組みなのに、地元の生徒が知らないのは残念だし、皆が分別に参加すればもっとエネルギーや液肥を作れると感じたんです。実際に生徒たちがこの事業をどう受け止め、咀嚼するかまでは正直、分りませんでした。しかし、少なくとも未来を担う生徒たちに、それを紹介する責任はあると思ったんですよ。」

志津川高校自然科学部による南三陸BIO見学

志津川高校自然科学部による南三陸BIO見学

山内校長はまず、クラブ活動の自然科学部の生徒7人に「BIOで町の事業を勉強してみないか?」と促してみた。同部の生徒たちは地域の取り組みに関心を示し、さっそくBIOの見学に赴いたそうだ。部活動の新たな研究テーマに資源循環事業を据えて理解と関心を深めた後、全校生徒への普及啓発を目指して文化祭での成果発表の製作に取り組んだという。

山内さん:「化学式も満足に書けないような子たちが、資源循環事業の内容をかみ砕いて他の生徒たちに説明するわけです。文化祭ではメタンガスでベーコンも焼きましたし、地元の小学生にミニバイオ施設でのメタン発酵実験の披露もしました。それを皮切りに、月に一度の福興市( 町が主催する特産物イベント)でもパネル展示で町民に説明したり、ベーコンを焼いたりしてPRしたわけです。地元の高校生がPRすると、町民へのアピール度も全然違うんですよ。そこは若さの特権ですね。」

やがて自然科学部の部員が登場して資源循環事業をPRするWEBページ「南三陸GURUGURU計画」が公開されると、校内での理解促進にさらなる拍車がかかった。

自分たちがこの町を作っていくという意識が生まれ、将来的な課題をも考えるようになった

驚くべきはそこからだ。生徒たちの意識の中で地域社会への関心が急速に高まり、それが連鎖的な反応に展開していったのである。

「災害に強い町づくり」に向けて導入された資源循環事業は、人と人がつながる「関係性というライフライン」を強化してきた。同時にそれは、地域の若者たちが「地域の誇り」と「その一員としての自覚」を柔らかな感性で吸収していくことにもつながっていたのである。こうした事柄が高校卒業後の人生の選択肢や定住意志にも大きな影響を与えるであろうことは想像に難くない。山内校長は最後に力強くこう語った。

山内さん:「資源循環事業のおかげで、子供たちの地域への意識が大きく変わったのは間違いありません。ですから今後も資源循環への理解促進の活動は、我が校とBIOが存在する限り、続けていくつもりですよ。」

例えば山内校長が地域の取り組みとして志津川湾のラムサール条約登録に向けた活動を紹介すると、環境の保全と利活用を通じて地場産業にも関心が拡大した。その結果、入谷地区の山村で新たに始まったワイナリー計画を学んだり、リンゴ農家の摘花作業の体験学習をする生徒も現れた。津波対策の盛り土工事が続く志津川地区で赤土流出の水質影響調査にも意欲をもつなど、地域の問題点や課題も意識するようになったという。資源循環事業をきっかけに、地域への関心を飛躍的に高めていく高校生の姿が思い浮かぶ。

生態系イメージ ©AMITA CORPORATION

生態系イメージ ©AMITA CORPORATION

これらの意識変化は、消費者や受益者という立場ではなく、「当事者として地域の活動に取り組む価値」に高校生たちが気づいた結果だろう。これは外部からBIOの視察に訪れる研修生にも、同じように現われる学習成果だ。「生態系」としての循環型社会では、皆が参加しないと地域社会が成立しえない。つまり「生態系における分解者」としての役割を個々の住民が果たすことで、取り組みを自分事にできるという気づきである。さらに、その気づきが呼び水となって地場産業や持続可能な資源利用、環境保全へと関心が広がっているという。

山内さん:「これまで町の取り組みや課題に関わる機会がなかった生徒たちに、自分たちがこの町を作っていくという意識が生まれ、将来的な課題をも考えるようになったんですよ。単にものを買って消費して捨てるのは古いやり方だという意識が育ってきているんですね。そうしたことを考える場の学校に来ることがすごく楽しいと言います。」

南三陸に資源循環が広がってくれたら嬉しいし、町外にも広がってほしいと思います。

放課後に自然科学部の活動拠点である理科実験室を訪ねてみた。現在は1年生と2年生の合計6名での部活動を展開している。活動の継続を担ってきた2年生の佐藤利輝(りき)君に話しを聞いた。

佐藤君:「文化祭での小学生の反応ですか? う~ん、実験よりもベーコンのほうに関心があったみたいでしたね(笑)。でも、これで南三陸に資源循環が広がってくれたら嬉しいし、登米市や仙台市からも来ていた人がいたから、町外にも広がってほしいと思います。」

現在も校庭に残る仮設住宅の裏の畑に液肥を撒いたので、今後は液肥を使用した農産物の収量や品質の違いを検証してみたいという。このような部活動の展開のきっかけとなったBIOが地元にあることへの感想も聞いてみた。

佐藤君:「ここ(南三陸町)がバイオマス産業都市に選ばれたことがすごい、と思いますね。震災があったこの町で、全くエネルギーがない状態を経験して、少しでも自分たちでエネルギーを作ろうとしていることや、生ごみが液肥になって利用されることが現実になっている。それはすごいことだと思います。でもまだ全員が分別して出しているわけじゃないから、このすごさをもっとアピールしていきたいですね。」

文化祭の様子

文化祭の様子

高校を卒業した後の進路のイメージを聞いてみたら、こんな答えが返ってきた。

佐藤君:「いまは、二つ考えています。ひとつはミヤコーバス(県内を運行するバス会社)の運転手になること。でも大型二種の免許を取らないといけないですね。もうひとつは、資源循環に関わる仕事に就くことです。」

もしそうなれば、地域にまたひとり、未来を担う若者が定住することになる。

山内 松吾

プロフィール

元 宮城県立志津川高等学校 校長

山内 松吾さん

南三陸町 入谷地区出身。宮城の公立高校教員として、38年間奉職。最後の3年間は、母校である志津川高校の校長を務める。被災生徒の学習環境支援や震災後の急激な生徒数減少への対策として県内初の公的学習センター「志翔學舎」、東日本大震災資料室、志津川高校防災クラブの設立に尽力したほか、南三陸モアイ化計画、国際交流活動や小・中・高の連携を視野に入れた教育活動を推進。地域の産業や経済活動が一丸となった志津川高校の魅力化推進とともに、町内唯一の高校である志高生が積極的に震災復興に関わり、地域とともに歩む教育活動の必要性を訴えている。

無料電子書籍「バケツ一杯からの革命」

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財源不足・過疎・コミュニティ崩壊など、日本の地域は様々な課題に直面しています。本書は、これらの課題を事業でどう解決すべきかと、持続可能な社会のあり方に関する構想を描いた書籍です。地方創生や地域活性化に関わる官庁・自治体・企業経営者、住民の方々にとってのヒントが満載です。ぜひご覧ください。

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