地域の声
「地域の絆を育むインフラ」
が生んだ想定外の波及効果
~産業振興課の視点 2~
宮城県本吉郡南三陸町 元・産業振興課 課長補佐
千葉 啓さん
震災当時に同じ産業振興課の課長補佐を務めていた千葉啓氏に、バイオガスプラントのインフラ機能についてうかがった。千葉氏はバイオガスプラントという選択肢に至った地域の背景を次のように語った。
※(本記事は2017年12月8日に発行した電子書籍「バケツ一杯からの革命」からの抜粋記事です。写真は南三陸BIOに仙台市から視察を受け入れた際のものです)
この地域を汚すのも美しくするのも全て町の住民の責任
千葉さん:「南三陸町は山から志津川湾を囲む南北の岬まで、町の境界線の全てがぐるりと分水嶺になっています。だから町内にも、志津川湾にも、他所からの水が入りません。つまり、この地域を汚すのも美しくするのも全て町の住民の責任です。この地域を美しく持続可能にするにはどうするべきなのか――。震災を受けて、そういうことを深く考えるようになったのは、私たち役場の人間だけではなかったと思いますね。」
もし、再生可能な自然エネルギーの獲得だけを目的とするのであれば、大型の風力発電やメガソーラーのように、発電機能に特化したハードインフラを導入する選択肢もあっただろう。しかし、そうしたインフラは自動制御と専門職者のメンテナンスだけで維持管理されることになる。住民が暮らしの中で密接に関わり、主体的に取り組める要素は少ない。ましてや、多額の処理費で財政を圧迫する焼却ごみの4割を占める生ごみの存在と、合併浄化槽の汚泥処理という課題は、風力や太陽光では解決できないものだった。
南三陸町 かきの養殖場
そこで南三陸町は、住民が生活の一部として生ごみの分別と資源化に参加し、バイオガスプラントから生まれた液肥を分かち合いながら様々な関係性を生み出していく、という解決策を選んだのである。そして、この選択からは「災害に強いまちづくり」を目指すうえで「重要かつ意外な効果」が生まれたのであった。
メディア報道などではBIOの発電機能が災害時の非常用電源として注目されることもあるが、実際の発電量は一般家庭60戸分を賄える程度だ。そもそも非常時に電力が絶対的生命線となるのは病院や通信施設などに限られ、それらは自家発電設備を確保すればよい。自ずと、バイガスプラントのインフラ機能は「資源循環事業への貢献」がメインになる。だが、BIOの機能の本質は「それだけではない」と千葉氏は語る。
千葉さん:「もともと非常用の電源施設としては、それほど期待していないんですよ。何より一番ありがたかったのは、役場と一緒に住民や農家、飲食店や宿泊施設、そして液肥を散布する事業者などの様々な関係者が、官民連携で町づくりに参画するという関係性が生まれたことなんです。そう、まさに関係性を育むインフラであることが、BIOの一番大きなポイントです。」 震災の発生当時、被災した人々を救ったのは、人と人のつながりという関係性であった。助けを求める声に応える人がいること、見えない姿を案じて探し続けてくれる人がいること、そして、たとえ自分の命が助からなかったとしても、遺された家族の悲しみや絶望に寄り添い、手を差し伸べてくれる多くの人がいること。それが関係性、あるいは「絆(きずな)」という、災害時に最も頼りになるライフラインであった。未曾有の災害を経験した南三陸町が「地域の絆を育むインフラ」の導入を決断したことの意味は、多くの地域で今後の防災対策のあり方の道標になり得るだろう。
ふるさと学習による地元小学生の見学
環境意識の盛り上がりが、今後の町づくりや産業のブランド化にも寄与していく
そしてもう一つの大きなポイントが、遠藤氏の話にも出てきたように、町全体の環境意識が高まったことだ。
千葉さん:「FSC®森林認証やASC養殖場認証の取得なども、BIOの取り組みが良い後押しになったと思います。こうした環境意識の盛り上がりが、今後の町づくりや産業のブランド化にも寄与していくと思いますね。」
そのような波及効果までを予測しての導入判断だったのであれば、相当な戦略的考察を重ねたものになるはずだ。役場の誰もが多忙を極める復興事業の中で、そこまでの余裕があったのだろうか。
千葉さん:「いえ、BIOの導入を決定した当初は、さすがにそこまでの波及効果は想定していませんでした。これは嬉しい想定外です。まさに町が提案している『創造的復興』に寄与しています。取り組みはまだ始まったばかりですから、今後の町づくりへの波及効果は、計り知れませんよ。」
FSC®認証審査の様子
プロフィール
千葉 啓(ちば ひらく)さん
南三陸町役場 農林水産課 課長
1989年志津川町役場入庁。東日本大震災直後、産業振興課課長補佐としてバイオマス産業都市構想の策定、実現に関わる。2018年4月より農林水産課長。