エネルギー革命後の山村で何があったのか

2009年3月31日 08:34  カテゴリ:地域づくり 地域再生  コメント(0)

姫田忠義さん(民族文化映像研究所の所長)の著書「樹木風土記 木と日本人」

を読みました。自分も民俗調査的なことを大学のころにやっていて、今でも地域に

入るとその地域の歴史や文化などを時間軸を入れながら構造的に理解するという

ことを常に意識してきましたが、まだまだ山村というものについて理解が足りない

ということをこの本で痛感しました。

 

本が出版されたのは1980年です。1960年ごろのエネルギー革命を境に

状況が一変し、どんどん疲弊していく山村の中でも、山村の復活を諦めずに懸命に挑戦

を続ける人たちの姿が綴られています。本が出た1980年の時点では、まだほんの少し

前の出来事だったのだという感じがしました。

薪炭林が不要になって使い道がなくなるなかで、地域の生き残りをかけて、その土地の

利用をどうしていくかということを、いろいろな人が苦労を重ねながら試みていたようです。

そんな中で山村を支え、地域の相談相手として地域のために尽くしていた林業改良普及員

(県の職員)の姿もあったわけですが、それが山から引き上げて都市部に住むようになり、

地域のために仕事をするのではなく、霞ヶ関に仕える身になっていったということが、姫田氏と

その師匠であった宮本常一氏との対談の中で記述されていました。

林学という学問に活気があり、知のサプライチェーンがまだ成立していた背景には、現地に

深く入り込んで熱心に活動していた林業改良普及員の姿があったのかもしれません。

 

「忘れられた日本人」という名著を残した宮本常一氏が、林業金融調査会というものをつくり

そのリーダーを務めておられたということもこの本で知り驚きました。私が想像していたより

もかなり実践的な活動をされていたようです。私たちトビムシは、「顔の見えるお金の流れ」

で山村を再生しようとしているわけですが、宮本常一氏はこの本の中で地域密着の非常に

小さな地方金融機関がかつては存在し、それが非常に重要な役割を担っていたという

ことも指摘していました。

※宮本氏はこの本が出版された翌年の1981年に亡くなられています。

 

1960年代、70年代に、懸命に山村を残していこうと尽力した人々のことをもっともっと

知らなくてはならない。そこには未来を考えるためのたくさんのヒントがたくさん眠っている

ということが分かりました。 

 

東京勤務は本日までで、明日から西粟倉村勤務となります。

その直前にたまたまこの本に出会えたのはとても幸運でした。

 

 

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