家の経営と地域経営のこれから
2009年8月27日 05:06 カテゴリ:地域づくり 地域再生 コメント(0)
村社会・・・という言葉にはどのようなイメージがあるでしょうか。
おそらく閉鎖的・内向きなイメージが一般的に強いと思います。
閉鎖的・内向きな人の集団のことを、村社会に例えて表現するぐらいですから。
実際に西粟倉村という社会を見たときにどうかということ、それほど閉鎖的では
ありません。地区別に閉鎖度・開放度の差はありますが、Iターン者がこの2年で
30名を超えているわけですから、よそ者が暮らしていけないというような閉鎖性
はありません。
しかし、内側に向かうエネルギーがまだまだ強いという印象はあります。
伝統的な村の社会構造は、家という経営体を基本単位として構成されています。
家というものの経営が長期的に継続していくために、家と家は互いに競争
しながら現在にいたっています。限られた地域空間の中で生きていける人の数、
家の数に限りがあるなかで、何百年にも渡って家間競争を積み重ねて来た
結果として現在の村社会があります。
家と家との間の競争意識と共存していたのが共有意識です。田んぼの水の管理や
採草地(牛のエサをとる場所)などの入会地(共有地)の管理などを共同で行うことで、
家の集合体が1つのコミュニティとして成立していました。
つまり、家と家の競争意識と共有意識が均衡するなかで、村社会というものがさらに
大きな単位の経営体として存続してきたと捉えることができます。
少し話しが飛びますが、内向きに働く競争意識を共有意識に昇華させることに成功した
歴史的大イベントが明治維新であり、それを成功させたのが薩長同盟でした。
それぞれの藩の生き残りのために生きてきた人たちが、日本国というものを共有し
欧米に支配されない自立した国家の建設を目指しました。
今の村社会の中に求められるのは、薩長同盟かもしれません。
家と家がいがみ合うエネルギーを、何かを共有して外に向かうエネルギーに昇華
させる作業が必要だと強く感じます。
森の学校という組織は、ある意味でそのために存在するのかもしれません。
家という経営体の集合体である村という経営体が、大切にしないといけないのは
顧客です。顧客というと固い言葉になりますので、地域のファンと言う方が
いいと思います。村という組織というよりも、地域ファンを維持していくために
村というブランドがあり、家が互いに村という1つのブランドを共有しながら存在
するという形にもっていく必要があるのかもしれません。
企業経営において当たり前に言われる「顧客志向」という言葉は、地域経営に
おいては非常に重たく難しい課題です。
家と家との内向きの競争意識を顧客獲得という外向きの競争意識に変換する
ことに成功したのが、有名な上勝町の葉っぱビジネスです。
おばあちゃんたちが、毎月の売上順位を意識しながら仕事をするような仕組みを
構築したのは、村社会の心理をうまく利用していると思います。
※上勝のいろどり事業は素晴らしいビジネスモデルですが、地域の社会構造を変革して
長期的に地域が生き残っていくための過渡期にあると私は見ています。
過渡期のモデルを普及させて講演等で儲けるところにエネルギーを使い始めて
いるとしたら、上勝町の地域おこしも過渡期まま終るでしょう。あくまで個人的な
見解ですが。
うちの向きの競争を外向きの顧客獲得競争へ、そして家々が地域ブランドを共有
していくという流れができたとき、村社会というものの構造が未来に適応できる
ように変化しはじまるような気がします。
そのためには、家の経営戦略がシフトしないといけません。
村の営業部隊である森の学校は、地域内の企業や家の営業代行を行うのでは
なく、主体的な営業活動(ファンづくり活動)を支援するという意識が必要です。
営業代行業なのか、営業支援プラットフォームなのかというのはけっこう大きな違い
があります。実際には両方の要素を森の学校は併せ持つことになるのですが、
営業代行に徹してしまいその意識だけで経営を行うと、おそらく農協などの組織と
同じ間違いを犯すことになるでしょう。
家というよりも、これからは家族という呼び方の方がいいかもしれません。
Iターンの人たちも含めて、家族というものの集合体として地域がある。
その認識に立って地域経営を考え、そのためのマーケティングを組み立てなくては
なりません。



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